南薩移民史秘話
「二つの祖国に生きて」
An Immigrant story from Nansatsu-Southern Satsuma

さいごに

南水翁は先述のように2003年に「南加鹿児島県人会」の二世、三世で結成された「鹿児島ヘリテージ・クラブ」一行18名をひきいて鹿児島訪問を実現できたことの感慨を、新県庁訪問や歓迎レセプション、磯庭園での思い出として歌にしている。
 

知事室
“胸つぶるる思いに仰ぐ新県庁の桜島かな よくぞ生きたり"
レセプション
“薩摩訛り心地よくひびく会場に胸あつくして椅子に座りしお"
磯御殿
“噴煙を上ぐる櫻島望みつつ 島津別邸に抹茶くみをり"


 

翁は2007年9月に82歳で病死されたが、病の床に見舞いに来た孫が本を読んでくれたことに対するお礼が自作の最後の歌となった。 冥福を祈りここにご紹介したい。


“サンキュウケイゴ
八歳の子が読みくるるロングストーリー 英語なれども熱心に聞く
2007年9月11日 夜9時 ぢいちゃん“
※ケイゴとは孫の名前「桂吾」(作者注)

これまで、上村南水翁の足跡を追って鹿児島からの米国渡航者の歴史を見てきたが、太平洋戦争を挟んで米国渡航の目的が大きく変わってきたことに気づいた。明治前後から太平洋戦争までの米国渡航を「出稼ぎの時代」とすれば太平洋戦争後の渡航は「新大陸に夢を実現」しようとした試みといえる。
このように渡航者にはそれぞれに渡航した目的があり、目的達成のために異国での困難を乗り越え、所期の目的を達成しようとする本当に人間臭いドラマがその人の数だけあったと思われる。
しかし、これらのドラマに共通しているのは、異国で様々な困難に立ち向かい、くじけずに克服し、仲間と支えあいながら目標に向けて前進するという強い志である。明治を実現した維新の偉人たちに劣らず強い「鹿児島人」としての気概と絆がその志を強く支えていると思う。

(追記)執筆中に鹿児島県人の海外渡航に関する資料を見つけましたので、ここに付記します。
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